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私の田舎の久保田藩には、小田野直武と言う下級侍がいて、平賀源内の西洋画を学ぶ弟子として、源内の屋敷に寝泊まりする事を特別に許された者がいましたね。源内の元で学んだ西洋画の技法を、藩主の佐竹曙山に伝える役目がありました。後に解体新書の挿し絵を描く事になる人物ですが。
有給休暇届けで、遊ぶため、というのは憚れるので、実家の用事で、とか言い訳するみたいな感じのことを江戸の侍たちもやっていたんだな〜
ご感想をいただき有難うございます。このこのからやっていることはあまり変わりませんね(笑)
ウチの祖先は江戸勤番なんだけど、平時は百姓で参勤交代の時だけ臨時採用で武士になってたらしい。で、農村では若者が持ち回りで勤番になり、見聞を広めたり好奇心を満たす目的で江戸に行くシステムは出来上がってたんだと。
時代は違っても人間なんも変わってないんだなってわかるのなんかいいよね
東京で生まれ、東京で育った私ですがちっとも東京を楽しめておらず、このチャンネルで江戸を楽しませてもらってます!感謝!
そうですかあ、やっぱりサムライは軍人なんですね。市ヶ谷連隊にいた時代を思い出します、鑑札って要は外出証ですよね。
門番に抱きついたり、門番にカネ払って見逃してもらうとかお侍さんもなかなかカワイイ。
ご感想をいただき有難うございます。そうですね。江戸の侍にはとても親近感わきますね。
その様子の動画をアップしたらバズりそう
これだけ大きなチャンネルで多くの方に丁寧にレスされてるってすごいですよね・・・!アップ主さんのコメントされてる皆様への誠意を感じます。この動画をみてるとどれほど技術が発展しても似たような状況におかれたときにとる行動が現代人と似てる部分があって人間って根っこの部分はあんまり変わってないんだなと思いましたね。なんか江戸の人たちに親近感感じましたw
嬉しいご感想をいただき有難うございます。コメントへの返信は私の好きでやっていますので😁はい、確かに侍も私たちも同じようなことしてる気がしますね(笑)
松山藩の者です(笑) 毎日見ている松山城も、こう言う人達がいたのかと思うと、改めて愛着が湧いてきます。次回も楽しい動画を期待してます。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。そうですね。同僚のためにあの手この手で時間稼ぎする侍たち(笑)憎めませんね。
基本「暇だった」ということが、幕末に尊王攘夷やら何やらの活動を「させてしまう時間」を与えるきっかけになったのかもしれませんね。
ご感想をいただき有難うございます。そうかもしれませんね。ただアグレッシブな侍は本当にアグレッシブで、酒井さんのような侍とはかなりの温度差を感じます。
動画ありがとうございます。江戸詰めの侍にしてみれば、せっかくの花のお江戸に来たのに何も見物できないというのはやはりストレスになるのでしょう。お芝居見物とか、お祭りも見たいと思うでしょうね。しかし酒井の門限破りに袖の下で誤魔化したというのはらしいと言えばらしいですが。
いつもご感想をいただき有難うございます。お祭りを見たいという気持ちはとても分かりますが、当日みんな一斉に病気になるというのには流石に驚きました(笑)江戸らしい面白いエピソードですよね。
お気に入りの春画は模写して取っといたのかなw 国元にも油紙に包んで大事に持って帰ってたりして。
ご感想をいただき有難うございます。どこにでも悪いおじさん?お兄さん?はいるようで(笑)
当時の時刻の基準と言えば鐘の音だったのに門限破りが厳罰に処され、町民達も一定の刻限に街の門が閉められるなど、案外厳しく時間管理されていたんですよね。この時代から時間厳守の性質が日本人に染み付いていたのかもしれませんが、同時に門限破りのごまかし方もあれこれ工夫されていますね…。
時限を誤魔化す文化じゃなく、なんで時間厳守の方が残っちゃったかなあ。
ご感想をいただき有難うございます。まああまり厳しすぎても・・・ということなのでしょうね。江戸はそのあたりのバランスが秀逸であると思います。
江戸時代の侍の生活の証言者がいたって大正時代はすごい時代だな。
大正時代はかろうじて江戸時代を生きた人たちが死んでいく時期だからなー
分かりやすくまとめられて、楽しかったです😊勤番衆の日常、宮仕えの辛さは古今変わりませんね。自分のご先祖様は、四国の小藩の定府勤めでした。たまに殿様の帰国のお供をしたようですが、根が江戸っ子なので、船上日記では国許をディスりまくりでしたw
江戸に来た勤番侍は花の江戸に来るのを待ち遠しかったのでは、厳しくしてもザルと一緒で底が抜けていて、ゆるゆるだったんですね。浅葱裏ってもてなかっですよね。‼️
いつもご感想をいただき有難うございます。酒井伴四郎の日記など読みますと、ここぞとばかりに楽しんでいますからね。地方の侍はその気持ちが強すぎて、女性受けは悪かったのかも(笑)
広島の浅野藩では、忠臣蔵を観ていたといえば遅刻も多目にみてもらえたとか昔クイズ番組でみたことある
本音と建て前 くそワロタカチコチの武士ではない当時の一面がみられて親近感がわいた
1:50 上京して初めてつけ麺を食べたことを思い出した、食べ方がわからず麺にスープをぶっかけて食べたなぁ。
…藩邸での生活規則に加え、外出制限や門限…いろいろ大変だけど抜け道などもあり武士も苦労してるなと思いました。でもその生活だから、貸本屋の娯楽はとても彼らの楽しみだったのですね。もし当時インターネットあったら、武士はとてもハマりまくってますね。(笑)今回もありがとうございました!
嬉しいご感想をいただき有難うございます。当時インターネットがあったら・・・エライことになりそうです😨
ほんまいいチャンネル
嬉しいご感想をいただき有難うございます👍
いつも制作、編集大変ですね、ありがとうございます。侍と町人の具体的なやり取り(色恋沙汰やトラブル、文化的な交流など)を紹介して下さい。そういう下世話な話も面白いです。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。そうですね。良い話があれば入れていこうと思います。
ライトな江戸雑学詰め合わせとかもお願いしたいな。時代劇とかで、奉行所は看板出さないとか、手配書に似顔絵は無いとか、水戸黄門は遊郭のヘビィローテーションとかw
上京して一人暮らしを始めた一昔前の大学生が暇な休講日にプレステやってTSUTAYAでビデオ借りる…みたいなこの感じw若い男の独り身の暇潰しって今も昔もそんなに変わらないのなと思ったw
ご感想をいただき有難うございます。はい、貸本屋などまさに宅配してくれるTUTAYAやゲオかと思います(笑)
金も時間もあるのにやることがないって言うのも地獄だな。不思議な世界だ。
なんか微笑ましいですねぇ。笑っちゃいました。🤭🤗💝♥️💖💘💕🎵❕
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
1:25 9:29 手塚治虫のひだまりの樹の主人公の伊武谷万二郎は水戸藩分家の府中藩士で両親と一緒に江戸で暮らしていたけど確かに漫画を見たら江戸屋敷の外の家で暮らしていた。そしてもう一人の主人公手塚良庵は父親良仙と共に医者で父親は府中藩の藩医だった。そしてこちらも江戸屋敷の外で暮らしていた。ちなみに良庵は父親の死後に良仙の名を受け継いだ手塚治虫の曾祖父。
BS-TBSで放送中のにっぽん歴史鑑定の去年5月11日放送回は酒井さんの江戸での暮らしの回だったけど今回の門限遅れも解説していた。当時の録画を消してしまったからうろ覚えだけど確か酒井さんは門番に渡したお金は知り合いの商人に借りていた。
ご感想をいただき有難うございます。なるほど、たとえ数文でもきっちり管理する酒井さんですから、100文は手痛かったのかもですね。
松山藩の内藤鳴雪ってかなり有名な俳句等をなぁ。書き物も多い人だなぁ。
落語「首提灯」なんかに出てくる侍みたいな感じ(道に迷って、なまり丸出しの田舎侍)なんですかね。
ご感想をいただき有難うございます。首提灯・・・一度だけ枝雀で聞いたことがありますがあまり覚えていませんね😥ただなまりだけでバカにすることは無かったといいます。江戸は新興の町ですから、誰であっても江戸幕府以降に初めて集まった住人たちだからですね。
やはりこの終わり方が良いですね。元に戻してくれてありがとうです。これからも応援してますね。
江戸詰めよりも、単身赴任の出張者の方が、支度金もらえて節約したら残りはそのまま貰えるし、仕事も月数回程度の勤務が中心だったから気楽だったんだろうな国元に戻ったら「江戸ではな・・・・・」とみて来たことを周りに話して自慢できただろうしw
ご感想をいただき有難うございます。歌舞伎や吉原、祭りを堪能して、地元でみんなに自慢げに話したのでしょうね~(笑)
藩によって、あるいは時代によっても違いそうですね。江戸の長屋暮らしは面倒くさいなぁ。軍事施設だから仕方ない。
藩士=体力有り余った中学生(中3)管理する上司=学校の先生みたいな感じですね(笑)
面白い、確かに学校では習ってない内容でした。人間味有る門番でしたね!学校でも雑学的に教えても良いと思うし
仮病でどこが悪いかを挙げる際、一番多かったのはパッと見ただけじゃ分からない「眼」だったという話があったような。
ご感想をいただき有難うございます。なるほど、江戸は眼病が多かったと言いますから、それもあるのかもしれませんね。
動画UPお疲れ様です!今回も楽しく見させて頂きました(^ ^)特に勤番侍の方々の江戸でのはっちゃけぶりについては、非常に興味深かったです。自分も仕事の関係で地方に出張することが割とあったのですが、行く先々の特産品や名物などに舌鼓を打つのが密かな楽しみでした。せっかく地元を離れて来ているのですから、どうせなら楽しみたいという気持ちは昔の人々も同じだったということですね!それだけに今のコロナ騒ぎのせいで、会社の出張が原則禁止になってしまったのは無念でなりません・・・(T . T)余談ですけど、子供のうちから春画に接しちゃって大丈夫だったのかな、内藤さん^^;暑い日々が続いておりますが、どうかお体に気をつけて引き続き頑張って下さい!
門限といえば大奥は更に早く午後4時。
表もあれば、裏もあるということか🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
とても、参考になりました。時間が空いているので、囲碁 将棋 読書とが盛んだったとは。明治維新の時に、外国人が大いに驚いた 日本人の異常に高い平均教養の中身が理解できました。武士達も、数独したのかな??
嬉しいご感想をいただき有難うございます。パズルみたいなものはあったかもしれませんね。
面白かった♪ 江戸っ子は、地方から来た純朴な藩士を「お上りさん♪」ってからかったんだろうなあ、って思ってしまいましたww
悪いように言うと田舎者、物知らずをバカにしたり騙すのが当たり前だったんだね。「親切な日本人」とは。それとも侍だからカモになるのかな。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。田舎侍として良く思われなかったのは、イキという江戸独特の価値観に馴染みきれなかったからだと思っています。加えて、侍であるというプライドと殿様に迷惑はかけられないという緊張とで、江戸っ子たちからするとそれが滑稽に見えたのでしょうね。
>春画を見せられた親戚の悪いお兄さんってのは昔からいたんだな。
ご感想をいただき有難うございます。古今東西にいてるのでしょうね(笑)
この動画無ければ一生知らなかった事がいっぱい。
外出の機会は少ない上に、江戸っ子から田舎侍と侮られぬよう、藩の名前に傷を付けぬように振舞う…大変だったんだろうなぁ。多少、羽目を外す人が出ても仕方がない、人間だものww
ご感想をいただき有難うございます。はい、人間ですから👍葉隠などでは、殿様の名前に傷がつくくらいなら切り捨ててしまえ!なんてありますが、私的にはみんなで一斉に仮病の方が良いです(笑)
なんか昔の侍が男子中学・高校生みたいでちょっと微笑ましい
ご感想をいただき有難うございます。そうですね(笑)この頃からやっていることはたいして変わらないのかもです😀
確か遊郭の話の時、花魁が一番嫌う職業が江戸勤番だったって言ってたなこれは月4回の外出制限が関係してたりして昼営業しか来ないし、少ない外出回数消費してきてんだからめいっぱいサービスしろと言れりゃ嫌われるか
ご感想をいただき有難うございます。それは私も読んだことがありますね。あまりガツガツしすぎると遊女たちには受けが悪そうです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 自分の言った遊郭の話ってのは何を隠そう投稿者様の動画のことですぜいつも面白い動画をありがとうございます!!
だからこそ八丁堀与力が金貰ってトラブルの内済してたんだよなあ無論暴行傷害や刃傷の現行犯だと揉み消し不可能だけど
特に同心は薄給なのに岡引を雇えた。
ご感想をいただき有難うございます。江戸って結構バレなきゃオッケーみたいなところありますよね(笑)
お侍さん達も、厳しい決まり事の中でどう楽しく生活するか、互いに知恵を出しあい助け合い、ルールをゆるゆるにしてしまったんですね。まぁ、四角四面だと息もつまるから、どこかで抜け穴を作るのも必要悪?かも知れませんね。何だか可愛いなあ。
いつもご感想をいただき有難うございます。はい、厳しすぎるのは逆に反発になります。しかし、抜け穴の作り方が笑ってしまいますよね(笑)
キャリア警察と地元採用の警察みたいだな
どこかに武家屋敷は残ってないのかな?
なんかユルクていいなー😁
江戸時代に現代日本まで連綿と続いている時間厳守の習慣と本音と建前が侍階級で成立してたことが明治維新の時に役に立ったんでしょうね。庶民が木戸番などで時間管理されてても支配階級が時間にルーズじゃどうしようもないですからね。とはいえ諸事情で時間厳守を破っても、時と場合によっては目こぼしするという緩さがないと組織が成り立たないのは理の当然ですが、現代日本では長らくその点を考慮しない輩がブラック企業としてのさばった結果、働き方改革とかお上が言わざる得ない状況まで引き起こしたのを見ると「江戸時代は明治や現代に比べて暗黒時代だった」と放言し続けたた司馬史観信者の罪は大きいと思いますね。
さらば 青春
地方から東京に単身赴任の俺、まさに令和の勤番
拍子木をゆっくり打たせる大芝居
今回も楽しませていただきました。「武士の面目」がすべてだった時代、不満防止の様子が窺えました。賄賂云々と言われるところですが、表沙汰にすればヘタ打つと切腹ものなこともあるので「金で済めば」となったのでしょう。既婚者の浮気が「不義」「姦通」として、夫が間男と妻を斬り捨てることが認められていたことは以前コメントしましたが、多くの場合は現代と同じように慰謝料で解決したのも同じような感覚からだと思われます。では次回も楽しみにしています。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。面目を守るために仮病は笑ってしまいますけれどね(笑)確かに・・・江戸って規則は厳しいですが、バレなきゃオッケーみたいなことろ多分にありますよね。
人間の一番の苦痛は暇。
中々知られない江戸侍の面白い部分が見られて楽しいです( ^∀^)🎵
仮に藩邸規則がゆるゆるだったとしても、お上りさんな勤番侍が旗本奴のような無頼とモメたり、飲む打つ買うで身を崩したりと藩の名前に傷がつく以前の問題で、結局は国許に送り返されるのは明白っスね
ご感想をいただき有難うございます。そういったもめごともあったのでしょうね。
他の藩の事情は分からないが、なんとなく松山藩は特別緩い気がするw
ご感想をいただき有難うございます。どうなのでしょうね。侍のイメージ的にもそうであってほしい気も少しします(笑)
松山藩の者です。今の藩民は、台風も石鎚さん(四国山脈)があるから大丈夫(松山には来ない)なんて言うくらい他藩に比べて災害が少ないからのんびりしてると思ってましたが、この動画を見て、どうやら昔から藩民のDNAに『ゆる〜く、のんびり』と書き込まれてたことが判明しました笑笑
アサギ色って、新選組の羽織のあの色…やっぱ「ダサい」の代名詞だったんですね…
全寮制男子高の高校生みたい(笑)寮長先生も学校に適当に言い訳したりと、厳しい規則の中で人間くさい生活をしていたみたいですね。
ご感想をいただき有難うございます。私も久しぶりに、チャイムがなって校内にダッシュしていた高校生時代を思い出しました(笑)
言葉の問題もあったのでしょう庶民の丁稚奉公の方が言葉は早く覚えたんだろうな
「芝居に行きたい」「祭りに行きたい」という病気なのか・・・・・
殿様はがんじがらめだったから…結婚相手も初見さん。お付き合いのある譜代や幕府老中の娘など…その方が素晴らしい方ならいいのだろうけど・・・言い方が悪い感じはするけど殿様は種馬江戸時代のロッキーなのよ。殿様は、家臣の心つかむために逃げ道用意したのかな。殿が守っていてくれるを実感させるためかもしれませんね。快楽系の褒美はモヒカンの心を掴むから・・・
ご感想をいただき有難うございます。名前しか知らない相手と結婚というのは、確かに恐ろしいロシアンルーレットですね😨
武士も人間だね😃ストレスが溜まりますね😢
ご感想をいただき有難うございます。はい、侍も人間ですね😄
いつも楽しみに観させてもらいました😁大都会に来たのにキャバクラやTDLもちょっとHな場所へも行けないなら身内の不幸事を使っても行きたいのが人情では😏
嬉しいご感想をいただき有難うございます。みんな一斉に病気になるというのには笑ってしまいますけれどね😁しかし気持ちはわかります。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 ありがとうございます‼️\(^_^)/
江戸勤番の侍は、極端な言い方すれば殿様の参勤交代の人数合わせですから。江戸に行って、何かの役目につくというのは余程、特殊な事例です。学力が優秀な家臣を江戸勤番に連れて行き、江戸で有名な塾に通わせたり。武芸が達者な家臣を江戸の道場に通わせて、箔を付けさせたり。忠臣蔵の大石蔵之介が、家督を相続する前に江戸に行っていますが。家が城代家老の嫡男であり江戸家老は、祖父の弟という事情があって江戸には行くことが許された。という超特殊なケースがありました。
酒井伴四郎、門限破りで、門番に、3,000円で、買収か❓😅😅😅😅😅😅
御家人の方が外出楽そうだからそっちが知りたい徳田新之助みたいなのはいたのかな?
ご感想をいただき有難うございます。旗本身分の人ということですね。確かにそこも気になるところです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 無役の人間だと貧乏だろうから町人と変わらない生活なのかもしれないですね家と家禄はあるが、普段は何してたんだか?結構と謎な存在逆に浪人になって江戸に出て来てる連中もよく分からないし
当時は道路標識も表札もなかったから、お上りさんは迷って当たり前。道路標識の整備は米国から始まった。
今と変わんなくて草、根っこの部分は同じなんだな
ご感想をいただき有難うございます。はい、私もそう思います(笑)
ううむ、父方のご先祖の旗本は歴代酒飲みで、赤い鞘の刀を横に挿して大通りをうろつきまわり、よけきれなかった「町人」さんに言いがかりをつけて、「酒をたかっていた」という都市伝説ならぬ、一族伝説があります。(伝説上の、相手は、紀伊国屋とは言えないので、とくに名を秘します…その後、当本家の中間になったと説もあります)
見方によっては、賄賂が下っ端の方までだいぶ横行してますね…。(でも、汚職政治につながらないだけマシか…?)なお、「病気なんです。」は古来からの言い訳の常套句だというのがはっきりわかりますね。(でも、上も仮病だという事はわかってて、あえて見逃しているのが何とも言えませんね。)
ご感想をいただき有難うございます。祭りの日にみんな病気になるのにはホントに笑いました(笑)
平和でいいじゃ内科
若い自衛官みたいだな。土日どっちか半年は一回出られればよく、半年過ぎても週一回しか外に出れない。(駐屯地の外ね)
いつの世も単身赴任は辛いですな。興味あるないようでした。
またの再UPお待ちしております。チャンネル登録もしましたよ。
お殿様と違って家臣、しかも下っ端はお気楽だった様だね。当時は地方から江戸へお仕事の長期出張って、外国出張の様なものだったみたいね。地元ではどうだったかしら、そりゃ黙認するしかないが、外出先でトラブって、死んだ場合、しらぬって見捨てられたらしいよ、
📝😊一般武士の江戸藩邸での生活…
どうも‼️
お疲れさまです遊びの為に悪知恵をめぐらすのは、今も昔も変わらないですねww最近、体調不良で投稿遅らせたりしているゆっくり系の方々が増えてますから、無理をなさらずに(´・ω・`)押してるチハ短編な方も、体調不良で短編という名の長編も次回作で最終回にするとか告知されてましたし・・・
いつもご感想をいただき有難うございます。はい、やること、考えることはあまり変わっていないですね(笑)毎日の炎天下に加え、再びのコロナ流行ですからね・・・。Lan Evo4さんもお気を付けください。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 ありがとうございます!!
何歳になっても門限に苦しめられる生活、しかも転職できない。いくら当時では生活水準が高い身分でも今の相対的貧困よりきついかも、
地方出身者は、武家も庶民もバカにされましたねぇ。川柳のネタ。
ご感想をいただき有難うございます。まあ江戸の町自体が新興の町ですから(みんな江戸幕府成立以降に来た住人であるため)、頭からバカにするようなことはないはずですが、馴染むまでは大変だったのでしょうかね。
門番役は懐が肥えますね
ご感想をいただき有難うございます。門限遅れは結構な数いたそうですから、儲かったかもしれませんね。
いちこめ
一コメ有難うございます👍
私の田舎の久保田藩には、小田野直武と言う下級侍がいて、平賀源内の西洋画を学ぶ弟子として、源内の屋敷に寝泊まりする事を特別に許された者がいましたね。
源内の元で学んだ西洋画の技法を、藩主の佐竹曙山に伝える役目がありました。
後に解体新書の挿し絵を描く事になる人物ですが。
有給休暇届けで、遊ぶため、というのは憚れるので、実家の用事で、とか言い訳するみたいな感じのことを江戸の侍たちもやっていたんだな〜
ご感想をいただき有難うございます。
このこのからやっていることはあまり変わりませんね(笑)
ウチの祖先は江戸勤番なんだけど、平時は百姓で参勤交代の時だけ臨時採用で武士になってたらしい。
で、農村では若者が持ち回りで勤番になり、見聞を広めたり好奇心を満たす目的で江戸に行くシステムは出来上がってたんだと。
時代は違っても人間なんも変わってないんだなってわかるのなんかいいよね
東京で生まれ、東京で育った私ですが
ちっとも東京を楽しめておらず、このチャンネルで江戸を楽しませてもらってます!感謝!
そうですかあ、やっぱりサムライは軍人なんですね。
市ヶ谷連隊にいた時代を思い出します、鑑札って要は外出証ですよね。
門番に抱きついたり、門番にカネ払って見逃してもらうとかお侍さんもなかなかカワイイ。
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。江戸の侍にはとても親近感わきますね。
その様子の動画をアップしたらバズりそう
これだけ大きなチャンネルで多くの方に丁寧にレスされてるってすごいですよね・・・!
アップ主さんのコメントされてる皆様への誠意を感じます。
この動画をみてるとどれほど技術が発展しても似たような状況におかれたときにとる行動が現代人と似てる部分があって人間って根っこの部分はあんまり変わってないんだなと思いましたね。
なんか江戸の人たちに親近感感じましたw
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
コメントへの返信は私の好きでやっていますので😁
はい、確かに侍も私たちも同じようなことしてる気がしますね(笑)
松山藩の者です(笑) 毎日見ている松山城も、こう言う人達がいたのかと思うと、改めて愛着が湧いてきます。次回も楽しい動画を期待してます。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
そうですね。同僚のためにあの手この手で時間稼ぎする侍たち(笑)憎めませんね。
基本「暇だった」ということが、幕末に尊王攘夷やら何やらの活動を
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ご感想をいただき有難うございます。
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ただアグレッシブな侍は本当にアグレッシブで、酒井さんのような侍とはかなりの温度差を感じます。
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江戸詰めの侍にしてみれば、せっかくの花のお江戸に来たのに何も見物できないというのはやはりストレスになるのでしょう。お芝居見物とか、お祭りも見たいと思うでしょうね。しかし酒井の門限破りに袖の下で誤魔化したというのはらしいと言えばらしいですが。
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お祭りを見たいという気持ちはとても分かりますが、当日みんな一斉に病気になるというのには流石に驚きました(笑)
江戸らしい面白いエピソードですよね。
お気に入りの春画は模写して取っといたのかなw 国元にも油紙に包んで大事に持って帰ってたりして。
ご感想をいただき有難うございます。
どこにでも悪いおじさん?お兄さん?はいるようで(笑)
当時の時刻の基準と言えば鐘の音だったのに門限破りが厳罰に処され、町民達も一定の刻限に街の門が閉められるなど、案外厳しく時間管理されていたんですよね。この時代から時間厳守の性質が日本人に染み付いていたのかもしれませんが、同時に門限破りのごまかし方もあれこれ工夫されていますね…。
時限を誤魔化す文化じゃなく、なんで時間厳守の方が残っちゃったかなあ。
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まああまり厳しすぎても・・・ということなのでしょうね。
江戸はそのあたりのバランスが秀逸であると思います。
江戸時代の侍の生活の証言者がいたって大正時代はすごい時代だな。
大正時代はかろうじて江戸時代を生きた人たちが死んでいく時期だからなー
分かりやすくまとめられて、楽しかったです😊
勤番衆の日常、宮仕えの辛さは古今変わりませんね。
自分のご先祖様は、四国の小藩の定府勤めでした。
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江戸に来た勤番侍は花の江戸に来るのを待ち遠しかったのでは、厳しくしてもザルと一緒で底が抜けていて、ゆるゆるだったんですね。浅葱裏ってもてなかっですよね。‼️
いつもご感想をいただき有難うございます。
酒井伴四郎の日記など読みますと、ここぞとばかりに楽しんでいますからね。
地方の侍はその気持ちが強すぎて、女性受けは悪かったのかも(笑)
広島の浅野藩では、忠臣蔵を観ていたといえば遅刻も多目にみてもらえたとか
昔クイズ番組でみたことある
本音と建て前 くそワロタ
カチコチの武士ではない当時の一面がみられて
親近感がわいた
1:50 上京して初めてつけ麺を食べたことを思い出した、食べ方がわからず麺にスープをぶっかけて食べたなぁ。
…藩邸での生活規則に加え、外出制限や門限…いろいろ大変だけど抜け道などもあり武士も苦労してるなと思いました。でもその生活だから、貸本屋の娯楽はとても彼らの楽しみだったのですね。もし当時インターネットあったら、武士はとてもハマりまくってますね。(笑)今回もありがとうございました!
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当時インターネットがあったら・・・エライことになりそうです😨
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いつも制作、編集大変ですね、ありがとうございます。
侍と町人の具体的なやり取り(色恋沙汰やトラブル、文化的な交流など)を紹介して下さい。
そういう下世話な話も面白いです。
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そうですね。良い話があれば入れていこうと思います。
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上京して一人暮らしを始めた一昔前の大学生が暇な休講日にプレステやってTSUTAYAでビデオ借りる…みたいなこの感じw
若い男の独り身の暇潰しって今も昔もそんなに変わらないのなと思ったw
ご感想をいただき有難うございます。
はい、貸本屋などまさに宅配してくれるTUTAYAやゲオかと思います(笑)
金も時間もあるのにやることがないって言うのも地獄だな。不思議な世界だ。
なんか微笑ましいですねぇ。笑っちゃいました。🤭🤗💝♥️💖💘💕🎵❕
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
1:25 9:29 手塚治虫のひだまりの樹の主人公の伊武谷万二郎は水戸藩分家の府中藩士で両親と一緒に江戸で暮らしていたけど確かに漫画を見たら江戸屋敷の外の家で暮らしていた。そしてもう一人の主人公手塚良庵は父親良仙と共に医者で父親は府中藩の藩医だった。そしてこちらも江戸屋敷の外で暮らしていた。ちなみに良庵は父親の死後に良仙の名を受け継いだ手塚治虫の曾祖父。
BS-TBSで放送中のにっぽん歴史鑑定の去年5月11日放送回は酒井さんの江戸での暮らしの回だったけど今回の門限遅れも解説していた。当時の録画を消してしまったからうろ覚えだけど確か酒井さんは門番に渡したお金は知り合いの商人に借りていた。
ご感想をいただき有難うございます。
なるほど、たとえ数文でもきっちり管理する酒井さんですから、100文は手痛かったのかもですね。
松山藩の内藤鳴雪ってかなり有名な俳句等をなぁ。書き物も多い人だなぁ。
落語「首提灯」なんかに出てくる侍みたいな感じ(道に迷って、なまり丸出しの田舎侍)なんですかね。
ご感想をいただき有難うございます。
首提灯・・・一度だけ枝雀で聞いたことがありますがあまり覚えていませんね😥
ただなまりだけでバカにすることは無かったといいます。
江戸は新興の町ですから、誰であっても江戸幕府以降に初めて集まった住人たちだからですね。
やはりこの終わり方が良いですね。元に戻してくれてありがとうです。これからも応援してますね。
嬉しいご感想をいただき有難うございます👍
江戸詰めよりも、単身赴任の出張者の方が、支度金もらえて節約したら残りはそのまま貰えるし、仕事も月数回程度の勤務が中心だったから気楽だったんだろうな
国元に戻ったら「江戸ではな・・・・・」とみて来たことを周りに話して自慢できただろうしw
ご感想をいただき有難うございます。
歌舞伎や吉原、祭りを堪能して、地元でみんなに自慢げに話したのでしょうね~(笑)
藩によって、あるいは時代によっても違いそうですね。江戸の長屋暮らしは面倒くさいなぁ。軍事施設だから仕方ない。
藩士=体力有り余った中学生(中3)
管理する上司=学校の先生
みたいな感じですね(笑)
面白い、確かに学校では習ってない内容でした。人間味有る門番でしたね!学校でも雑学的に教えても良いと思うし
仮病でどこが悪いかを挙げる際、一番多かったのはパッと見ただけじゃ分からない「眼」だったという話があったような。
ご感想をいただき有難うございます。
なるほど、江戸は眼病が多かったと言いますから、それもあるのかもしれませんね。
動画UPお疲れ様です!今回も楽しく見させて頂きました(^ ^)
特に勤番侍の方々の江戸でのはっちゃけぶりについては、非常に興味深かったです。
自分も仕事の関係で地方に出張することが割とあったのですが、行く先々の特産品や名物などに舌鼓を打つのが密かな楽しみでした。
せっかく地元を離れて来ているのですから、どうせなら楽しみたいという気持ちは昔の人々も同じだったということですね!
それだけに今のコロナ騒ぎのせいで、会社の出張が原則禁止になってしまったのは無念でなりません・・・(T . T)
余談ですけど、子供のうちから春画に接しちゃって大丈夫だったのかな、内藤さん^^;
暑い日々が続いておりますが、どうかお体に気をつけて引き続き頑張って下さい!
門限といえば大奥は更に早く午後4時。
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嬉しいご感想をいただき有難うございます。
パズルみたいなものはあったかもしれませんね。
面白かった♪ 江戸っ子は、地方から来た純朴な藩士を「お上りさん♪」ってからかったんだろうなあ、って思ってしまいましたww
悪いように言うと田舎者、物知らずをバカにしたり騙すのが当たり前だったんだね。
「親切な日本人」とは。
それとも侍だからカモになるのかな。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
田舎侍として良く思われなかったのは、イキという江戸独特の価値観に馴染みきれなかったからだと思っています。
加えて、侍であるというプライドと殿様に迷惑はかけられないという緊張とで、江戸っ子たちからするとそれが滑稽に見えたのでしょうね。
>春画を見せられた
親戚の悪いお兄さんってのは昔からいたんだな。
ご感想をいただき有難うございます。
古今東西にいてるのでしょうね(笑)
この動画無ければ一生知らなかった事がいっぱい。
外出の機会は少ない上に、江戸っ子から田舎侍と侮られぬよう、藩の名前に傷を付けぬように振舞う…
大変だったんだろうなぁ。
多少、羽目を外す人が出ても仕方がない、人間だものww
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はい、人間ですから👍
葉隠などでは、殿様の名前に傷がつくくらいなら切り捨ててしまえ!なんてありますが、私的にはみんなで一斉に仮病の方が良いです(笑)
なんか昔の侍が男子中学・高校生みたいでちょっと微笑ましい
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そうですね(笑)この頃からやっていることはたいして変わらないのかもです😀
確か遊郭の話の時、花魁が一番嫌う職業が江戸勤番だったって言ってたな
これは月4回の外出制限が関係してたりして
昼営業しか来ないし、少ない外出回数消費してきてんだから
めいっぱいサービスしろと言れりゃ嫌われるか
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それは私も読んだことがありますね。
あまりガツガツしすぎると遊女たちには受けが悪そうです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹
自分の言った遊郭の話ってのは何を隠そう投稿者様の動画のことですぜ
いつも面白い動画をありがとうございます!!
だからこそ八丁堀与力が金貰ってトラブルの内済してたんだよなあ
無論
暴行傷害や刃傷の現行犯だと揉み消し不可能だけど
特に同心は薄給なのに岡引を雇えた。
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江戸って結構バレなきゃオッケーみたいなところありますよね(笑)
お侍さん達も、厳しい決まり事の中でどう楽しく生活するか、互いに知恵を出しあい助け合い、ルールをゆるゆるにしてしまったんですね。
まぁ、四角四面だと息もつまるから、どこかで抜け穴を作るのも必要悪?かも知れませんね。何だか可愛いなあ。
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はい、厳しすぎるのは逆に反発になります。
しかし、抜け穴の作り方が笑ってしまいますよね(笑)
キャリア警察と地元採用の警察みたいだな
どこかに武家屋敷は残ってないのかな?
なんかユルクていいなー😁
江戸時代に現代日本まで連綿と続いている時間厳守の習慣と本音と建前が侍階級で成立してたことが
明治維新の時に役に立ったんでしょうね。庶民が木戸番などで時間管理されてても支配階級が時間に
ルーズじゃどうしようもないですからね。とはいえ諸事情で時間厳守を破っても、時と場合によっては
目こぼしするという緩さがないと組織が成り立たないのは理の当然ですが、現代日本では長らくその点
を考慮しない輩がブラック企業としてのさばった結果、働き方改革とかお上が言わざる得ない状況まで
引き起こしたのを見ると「江戸時代は明治や現代に比べて暗黒時代だった」と放言し続けたた司馬史観
信者の罪は大きいと思いますね。
さらば 青春
地方から東京に単身赴任の俺、まさに令和の勤番
拍子木を
ゆっくり打たせる
大芝居
今回も楽しませていただきました。
「武士の面目」がすべてだった時代、不満防止の様子が窺えました。
賄賂云々と言われるところですが、表沙汰にすればヘタ打つと切腹ものなこともあるので「金で済めば」となったのでしょう。既婚者の浮気が「不義」「姦通」として、夫が間男と妻を斬り捨てることが認められていたことは以前コメントしましたが、多くの場合は現代と同じように慰謝料で解決したのも同じような感覚からだと思われます。
では次回も楽しみにしています。
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面目を守るために仮病は笑ってしまいますけれどね(笑)
確かに・・・江戸って規則は厳しいですが、バレなきゃオッケーみたいなことろ多分にありますよね。
人間の一番の苦痛は暇。
中々知られない江戸侍の面白い部分が見られて楽しいです( ^∀^)🎵
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仮に藩邸規則がゆるゆるだったとしても、お上りさんな勤番侍が旗本奴のような無頼とモメたり、
飲む打つ買うで身を崩したりと藩の名前に傷がつく以前の問題で、結局は国許に送り返されるのは明白っスね
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そういったもめごともあったのでしょうね。
他の藩の事情は分からないが、なんとなく松山藩は特別緩い気がするw
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どうなのでしょうね。侍のイメージ的にもそうであってほしい気も少しします(笑)
松山藩の者です。今の藩民は、台風も石鎚さん(四国山脈)があるから大丈夫(松山には来ない)なんて言うくらい他藩に比べて災害が少ないからのんびりしてると思ってましたが、この動画を見て、どうやら昔から藩民のDNAに『ゆる〜く、のんびり』と書き込まれてたことが判明しました笑笑
アサギ色って、新選組の羽織のあの色…やっぱ「ダサい」の代名詞だったんですね…
全寮制男子高の高校生みたい(笑)
寮長先生も学校に適当に言い訳したりと、厳しい規則の中で人間くさい生活をしていたみたいですね。
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私も久しぶりに、チャイムがなって校内にダッシュしていた高校生時代を思い出しました(笑)
言葉の問題もあったのでしょう
庶民の丁稚奉公の方が言葉は早く覚えたんだろうな
「芝居に行きたい」「祭りに行きたい」という病気なのか・・・・・
殿様はがんじがらめだったから…結婚相手も初見さん。お付き合いのある譜代や幕府老中の娘など…その方が素晴らしい方ならいいのだろうけど・・・言い方が悪い感じはするけど殿様は種馬江戸時代のロッキーなのよ。
殿様は、家臣の心つかむために逃げ道用意したのかな。殿が守っていてくれるを実感させるためかもしれませんね。快楽系の褒美はモヒカンの心を掴むから・・・
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名前しか知らない相手と結婚というのは、確かに恐ろしいロシアンルーレットですね😨
武士も人間だね😃
ストレスが溜まりますね😢
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はい、侍も人間ですね😄
いつも楽しみに観させてもらいました😁大都会に来たのにキャバクラやTDLもちょっとHな場所へも行けないなら身内の不幸事を使っても行きたいのが人情では😏
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みんな一斉に病気になるというのには笑ってしまいますけれどね😁
しかし気持ちはわかります。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 ありがとうございます‼️\(^_^)/
江戸勤番の侍は、極端な言い方すれば殿様の参勤交代の人数合わせですから。
江戸に行って、何かの役目につくというのは余程、特殊な事例です。
学力が優秀な家臣を江戸勤番に連れて行き、江戸で有名な塾に通わせたり。武芸が達者な家臣を江戸の道場に通わせて、箔を付けさせたり。
忠臣蔵の大石蔵之介が、家督を相続する前に江戸に行っていますが。家が城代家老の嫡男であり江戸家老は、祖父の弟という事情があって江戸には行くことが許された。という超特殊なケースがありました。
酒井伴四郎、門限破りで、門番に、3,000円で、買収か❓😅😅😅😅😅😅
御家人の方が外出楽そうだから
そっちが知りたい
徳田新之助みたいなのはいたのかな?
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旗本身分の人ということですね。
確かにそこも気になるところです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 無役の人間だと貧乏だろうから町人と変わらない生活なのかもしれないですね
家と家禄はあるが、普段は何してたんだか?結構と謎な存在
逆に浪人になって江戸に出て来てる連中もよく分からないし
当時は道路標識も表札もなかったから、お上りさんは迷って当たり前。
道路標識の整備は米国から始まった。
今と変わんなくて草、根っこの部分は同じなんだな
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はい、私もそう思います(笑)
ううむ、父方のご先祖の旗本は歴代酒飲みで、赤い鞘の刀を横に挿して大通りをうろつきまわり、よけきれなかった「町人」さんに言いがかりをつけて、「酒をたかっていた」という都市伝説ならぬ、一族伝説があります。(伝説上の、相手は、紀伊国屋とは言えないので、とくに名を秘します…その後、当本家の中間になったと説もあります)
見方によっては、賄賂が下っ端の方までだいぶ横行してますね…。(でも、汚職政治につながらないだけマシか…?)
なお、「病気なんです。」は古来からの言い訳の常套句だというのがはっきりわかりますね。(でも、上も仮病だという事はわかってて、あえて見逃しているのが何とも言えませんね。)
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祭りの日にみんな病気になるのにはホントに笑いました(笑)
平和でいいじゃ内科
若い自衛官みたいだな。土日どっちか半年は一回出られればよく、半年過ぎても週一回しか外に出れない。(駐屯地の外ね)
いつの世も単身赴任は辛いですな。興味あるないようでした。
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またの再UPお待ちしております。チャンネル登録もしましたよ。
お殿様と違って家臣、しかも下っ端はお気楽だった様だね。当時は地方から江戸へお仕事の長期出張って、外国出張の様なものだったみたいね。地元ではどうだったかしら、そりゃ黙認するしかないが、外出先でトラブって、死んだ場合、しらぬって見捨てられたらしいよ、
📝😊一般武士の江戸藩邸での生活…
どうも‼️
お疲れさまです
遊びの為に悪知恵をめぐらすのは、今も昔も変わらないですねww
最近、体調不良で投稿遅らせたりしているゆっくり系の方々が増えてますから、無理をなさらずに(´・ω・`)
押してるチハ短編な方も、体調不良で短編という名の長編も次回作で最終回にするとか告知されてましたし・・・
いつもご感想をいただき有難うございます。
はい、やること、考えることはあまり変わっていないですね(笑)
毎日の炎天下に加え、再びのコロナ流行ですからね・・・。Lan Evo4さんもお気を付けください。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹
ありがとうございます!!
何歳になっても門限に苦しめられる生活、しかも転職できない。
いくら当時では生活水準が高い身分でも今の相対的貧困よりきついかも、
地方出身者は、武家も庶民もバカにされましたねぇ。川柳のネタ。
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まあ江戸の町自体が新興の町ですから(みんな江戸幕府成立以降に来た住人であるため)、頭からバカにするようなことはないはずですが、馴染むまでは大変だったのでしょうかね。
門番役は懐が肥えますね
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門限遅れは結構な数いたそうですから、儲かったかもしれませんね。
いちこめ
一コメ有難うございます👍